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コードの「分かりやすさ」は経験でどう変わるのか?認知科学が解明するプログラマーの脳内プロセス

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ソフトウェア開発の現場において、私たちは「コードを書く」こと以上に「コードを読む」ことに多くの時間を費やしています。しかし、同じソースコードを読んでも、瞬時にロジックを把握できる人もいれば、処理の流れを追うのに多大な労力を要する人もいます。なぜ、客観的には同じ構造のプログラムが、読み手によって全く異なる「難易度」として知覚されるのでしょうか。

本記事では、Hadiza Salihu Idris氏らによる研究論文「Experience‑Weighted Cognitive Complexity Metric for Software Understandability: A Cognitive‑Informatics Perspective」(2026年)に基づき、プログラマーの脳内で起きている認知プロセスについて解説します。

構造的な複雑さと「認知的な難しさ」の決定的違い

長年、ソフトウェア工学の世界では、コードの複雑さを測るためにさまざまな指標が用いられてきました。代表的なものに、分岐の数に基づく「サイクロマティック複雑度(McCabe)」や、演算子と被演算子の数に基づく「ハルステッドの指標」などがあります。これらは数学的に厳密であり、コードの構造を分析する上では有用です。しかし、これらの伝統的な指標には、「それを読む人間」の要素が抜け落ちているという大きな課題がありました。

開発時間の約7割は「解読」に使われている

研究によると、開発者は作業時間の58%から70%をコードの読み込みと理解に費やしており、実際にコードを編集している時間はわずか5%程度に過ぎないとされています。つまり、コードの理解しやすさこそが、開発の生産性やメンテナンス性を左右する最大の要因です。

しかし、構造上は複雑に見えるコードでも、そのパターンに慣れ親しんだ開発者にとっては容易に理解できる場合があります。逆に、構造は単純でも、見慣れない構文やパラダイムで書かれていれば、理解には多大な認知的努力を要します。これは、コードの物理的な複雑さと、人間が感じる「認知的な複雑さ」が必ずしも一致しないことを示唆しています。

プログラマーの脳内では何が起きているのか

このギャップを説明するために、論文では「認知情報学」の理論が参照されています。これによると、ソフトウェアの理解とは、ソースコードという「記号情報」を、人間の脳内で「メンタルモデル(心的な表現)」に変換するプロセスであると定義されます。

経験者が持つ「スキーマ」の力

経験豊富なプログラマーと初心者の決定的な違いは、脳内に構築された「スキーマ(知識構造)」の質と量にあります。

  • 初心者: コードを1行ずつ文字通りに解釈し、論理を積み上げようとするため、認知負荷(脳への負担)が高くなります。
  • 熟練者: 過去の経験から「よくあるパターン」や「構造の定石」をスキーマとして記憶しています。そのため、コードを見た瞬間にパターン認識が働き、細部を省略して全体像を把握できます。

つまり、経験豊富な開発者は、単に知識があるだけでなく、より少ない認知的エネルギーで高度な情報処理を行っているのです。

データが示す「経験」と「理解度」の相関関係

本研究では、100名のソフトウェア開発者を対象に、3つの異なるプログラミング言語(Java, Python, C++)で書かれたコードを読解してもらい、その際の「習熟度」と「理解度」を測定する調査が行われました。

実際の調査データを見ると、開発者の「経験・習熟度」と「コード理解の正確さ」には、驚くほど強い関係があることが分かります。以下は、プログラミング言語や制御構造への習熟度(Familiarity)と、コード理解テストのスコア(Comprehension)の関係を示したグラフです。

図表1:習熟度と理解度の散布図 図表1:習熟度と理解度の散布図

このグラフでは、右上がりのはっきりとした直線傾向が見て取れます。統計的な分析の結果、習熟度と理解効率の間には「r = 0.97」という極めて強い正の相関が確認されました。

これは、コードの構造がどうであれ、読み手がその言語やパターンにどれだけ慣れ親しんでいるかが、理解の成否を分ける支配的な要因であることを示しています。グラフの点が回帰直線の周囲に密集していることからも、個人のばらつきが少なく、この法則が多くの開発者に当てはまることがわかります。

「構造の複雑さ」を「経験」がいかに凌駕するか

さらに興味深い発見は、 「構造的に複雑なコードであっても、経験値が高ければ容易に理解できる」 という事実です。今回の研究では、以下の3つのプログラムを用いて実験が行われました。

  • プログラムA: 単純な選択・反復構造(Java)
  • プログラムB: ネストされたループや関数呼び出しを含む(Python)
  • プログラムC: 深い条件分岐や複雑なネスト構造(C++)

一般的に考えれば、難易度の高い「プログラムC」の理解スコアは低くなるはずです。しかし、実験結果は逆を示しました。

習熟度が認知負荷を相殺する

以下の表は、各プログラムに対する被験者の「習熟度(Familiarity)」と「理解スコア(Comprehension)」の平均値をまとめたものです。

プログラム習熟度スコア (x)理解スコア (y)
A (Java)5455
B (Python)4650
C (C++)5861

図表2:習熟度と理解度の相関関係

このデータから分かる通り、構造的に最も複雑なはずの「プログラムC」が、最も高い理解スコア(61点)を記録しています。 これは、被験者たちがたまたまC++やその制御構造に対して最も高い習熟度(58点)を持っていたためです。この結果を視覚化したのが以下のグラフです。

図表3:プログラム別の理解度トレンド 図表3:プログラム別の理解度トレンド

グラフを見ると、習熟度の低かったプログラムBでスコアが落ち込んでいる一方で、最も複雑なはずのプログラムCが最もスコアが高くなっています。

プログラムCのような深い条件分岐や複雑なロジックは、本来であれば脳のワーキングメモリに高負荷をかけます。しかし、十分な習熟度があれば、その負荷を相殺し、単純なコード以上のパフォーマンスを発揮できるのです。逆に言えば、習熟度が低い状態(プログラムBのケース)では、構造的な複雑さがそのまま認知的な壁となり、理解スコアを押し下げることが如実に表れています。

結論

本記事では、コードの理解という行為が単なる「読み取り」ではなく、読み手の経験に深く依存した「認知的プロセス」であることを解説しました。

  • 経験の重要性: プログラミング経験や言語への習熟度は、コード理解の効率を決定づける要因であり、その相関は極めて高いものです。
  • 構造と認知: 伝統的な指標が示す「複雑さ」は一面的なものであり、人間が感じる難易度は、その人が持つメンタルモデルによって変化します。

これらの知見は、コードレビューや人材育成において重要な示唆を与えてくれます。例えば、ベテランにとっては「簡潔で分かりやすいコード」であっても、経験の浅いメンバーにとっては認知負荷が高すぎる場合があります。

コードの可読性を議論する際は、単に行数やネストの深さを見るだけでなく、「チームメンバーの習熟度に対して適切か」という人間中心の視点を持つことが、チーム全体の生産性を高める鍵となるでしょう。


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参考資料:

Author: vonxai編集部

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