優秀な新人ソフトウェアエンジニアの不安を防ぐには?インポスター症候群とチーム環境の関係性
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新しくチームに加わった優秀な若手ソフトウェアエンジニアが、「自分は周囲が期待するほど実力がない」「いつか能力不足がバレてしまうのではないか」と強い不安を抱えながら仕事をしているケースが少なくありません。このような心理状態は「インポスター症候群(Impostor Phenomenon:IP)」と呼ばれ、生産性の低下や燃え尽き症候群(バーンアウト)に直結する深刻な課題として認識されています。
本記事では、P. Guenes氏らによる論文「A Quasi-Experimental Evaluation of Coaching to Mitigate the Impostor Phenomenon in Early-Career Software Engineers」に基づき、グループコーチングの効果と、若手エンジニアを支える上で本当に重要となる「チーム環境の要因」について詳しく解説します。
ソフトウェア開発現場とインポスター症候群の関係性
インポスター症候群を抱える人は、自分の成功を能力ではなく「運が良かっただけ」と捉える傾向があります。特にソフトウェアエンジニアリングの分野において、この現象は非常に顕著です。
継続的な技術の移り変わり、厳格なピアレビュー(コードレビューなど)、そして常にイノベーションが求められる環境は、他者との比較や「自分は不十分だ」という感覚を生み出しやすくなっています。世界26カ国のソフトウェア専門家を対象とした過去の大規模な調査でも、半数以上が頻繁に、あるいは強いインポスター感情を経験していることが報告されています。この心理状態は、チーム内での発言や質問をためらわせ、さらなる不安を増幅させてしまいます。
初期キャリアエンジニア20名を対象とした調査手法
今回の研究では、産学連携のイノベーションラボで働く初期キャリアのソフトウェアエンジニア20名(主に大学後半の学生で、実際のクライアント向けプロジェクトに従事)を対象に調査が行われました。
参加者は既存の2つのプロジェクトチーム(チームP1、チームP2:各10名)に分かれており、グループコーチングがインポスター症候群にどのような影響を与えるかを測定しました。評価には「Clance Impostor Phenomenon Scale(CIPS:インポスター感情の強度を測る尺度)」をはじめ、ウェルビーイングや生活満足度を測る複数の評価基準が用いられました。片方のチーム(P1)に先に全3回のコーチングを実施し、もう片方のチーム(P2)は観察期間を置いた後に同じコーチングを受けるという「待機リスト制御設計」が採用されています。
インポスター症候群スコア(CIPS)の意外な推移
コーチング介入によって、若手エンジニアの不安はどのように変化したのでしょうか。以下の図表1は、調査期間中のインポスター症候群の強度を測るスコア(CIPS)の推移を表しています。このスコアは高いほど「自分は偽物だ」という不安が強く、スコアが下がるほど心理状態が改善していることを示します。
グラフの横軸にある「T0〜T3」は、それぞれ以下のタイムラインを表しています。
- T0〜T1(事前の観察期間):両チームとも通常業務のみを行う期間。
- T1〜T2(前半の介入期間):チームP1(青線)だけがコーチングを受けた期間。 チームP2(オレンジ線)は引き続き通常業務のみを行い、待機しています。
- T2〜T3(後半の介入期間):待機していたチームP2(オレンジ線)がコーチングを受けた期間。
図表1:調査期間中の平均CIPSスコアの推移

ここで注目すべきは、チームP1だけがコーチングを受けた 「T1からT2の期間」 です。
この期間、コーチングを受けたチームP1のCIPSスコアは62.0から59.7(-3.8%)へとわずかに低下(改善)しました。しかし興味深いことに、同時期にまだコーチングを一切受けていない待機チーム(P2) の方が、61.25から55.10(-10%)へと、より大きくスコアを改善させていたのです。
研究チームは、このスコア低下について「コーチングという単発の介入による効果というよりも、日常のプロジェクトの進捗状況や、チーム内のコミュニケーションといった『職場環境に埋め込まれた要因』が強く影響している可能性が高い」と結論付けています。
心理的尺度の推移から見える「感情とウェルビーイング」の連動
インポスター感情の変化は、個人の精神的な健康状態とも密接に関わっています。研究では、ウェルビーイング(WHO-5)、生活満足度(SWLS)、ポジティブ・ネガティブ感情(PANAS)の推移も同時に測定しました。
図表2:5つの心理学的尺度の調査タイムライン(T0–T3)におけるスコア分布の比較

図表2の分布が示す通り、チーム単位で一貫した傾向が見られます。最もスコアの改善幅が大きかったP2チームは、最終的にCIPSスコアが最も低くなり、同時にウェルビーイング(WHO-5)とポジティブ感情が最も高いレベルに到達しました。分析の結果、インポスター感情の低下は、強い不安などのネガティブな感情の減少、そしてウェルビーイングの向上と明確に連動して動くことが確認されています。
チーム環境がインポスター感情の解消を後押しする
なぜ、正式なコーチングを受ける前から、待機していたP2チームでこれほど明確な改善が見られたのでしょうか。研究論文では、主に2つの環境要因が指摘されています。
プロジェクトの進展がもたらす自己効力感
1つ目の要因は、プロジェクトのライフサイクルと難易度です。インポスター感情は、難易度の高いタスクの初期段階でピークに達し、成功を重ねることで一時的に和らぐというサイクルを持っています。プロジェクトの中間地点から納品に向けて着実にプロトタイプを作り上げていく過程で、エンジニア自身が「自分たちでもできる」という達成感を得たことが、自然な不安の軽減につながりました。
心理的安全性と共感的なフィードバック文化の効果
2つ目の決定的な要因は、チーム内の「心理的安全性」とコミュニケーションの習慣です。P2チームでは、コーチングの介入前から、自分たちの自主的なルールとして共感や建設的なフィードバックを重視するコミュニケーション手法を取り入れていました。
対人関係のリスクをとっても安全だと信じられる環境(心理的安全性)が高いチームほど、他者からの評価に対する不安が低くなります。弱みを見せ合い、互いに建設的なフィードバックを日常的に行う文化がすでにチームに根付いていたため、特別に時間を設けたコーチングセッションと同等、あるいはそれ以上の心理的改善効果を日常業務の中で得ていたと考えられます。
まとめ:孤立した施策から「日常的なサポート」へ
本調査の結果は、初期キャリアのソフトウェアエンジニアをインポスター症候群から守るためには、単発のコーチング研修を実施するだけでは不十分であることを示しています。
もちろん、自己認識を高めるための振り返りの時間は有益です。しかし実務においては、コードレビュー、スプリントのレトロスペクティブ(振り返り)、あるいは1on1ミーティングといった「既存の開発プロセス」の中に、疑問や不安を共有しやすい仕組みを組み込むことがより重要になります。
弱みを見せても受け入れられる心理的安全性をチーム全体で構築し、互いにフィードバックを行う文化を育てることが、若手エンジニアの不安を取り除き、能力を最大限に引き出すための確実なアプローチとなります。
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参考資料: